最近の悩みは前髪のハゲです。
日々をそこはかとなく生きているブログと言うかもはやツイッターレベルの日記です。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
今日は創業塾に行ってきた
昨日思いついた案のブラッシュアップをしようと思って、販促の心得みたいなのにしたがって書いてたら、前で発表することになりました。
別に隠すような内容ではないのだけど、恥ずかしかった。
というか久しぶりのプレゼンで、手がガタガタ震えてた(笑
紙ががさがさ言う音が聞こえてないか心配だった(笑
で、100万円のメモ用紙をもらえました(笑


来週の創業塾も超行きてー。けどサークルの合宿にも行きたいよ!
サークルの合宿にもちろん行くのだけど、なんで被ってんだくそう。


とりあえず、名古屋の商工会議所の創業塾も行きてーなー。
つか普通に人脈が広がるのが良い。なんで今まで行かなかったんだ。


で、人脈繋がりで考えて、ここで消え去るなんてもったいなさ過ぎる。
と思ってどうやったらキープ出来るか考えてたんですが、そうだビジネスコンペをやろう!と思い至りました。
いや、もともと出る気なんですが、そこで人捕まえて、みんなでブラッシュアップしてったら良いんじゃないかと。
あと起業道場だっけ。あれの参加者も募りたい。
でも来週は行けないのでパートナー頼りです。嗚呼。
できれば学生さんを捕まえたいなー。時間的に余裕のある。
で、需要として出来れば起業は考えてるけど、アイディアがいまひとつって人を中心に集められれば良いかな。


今日の創業塾は販促について。(午前は起業の書類とかについてだったんだけどいまひとつきつかった)
非常に面白かった。
今まで、どうやったらたくさんの人に知ってもらえるんだろう、というのでインターネットしか思いつかなかったんですが、結局欲しいと思うタイミングに当てて広告を打つのが大事なんだね。
範囲ももちろん大事なんだけど、効果のある場所で範囲を出さなければ意味がない。ということがわかった。
もちろん費用は掛かるんだろうけど、費用対効果の側面だよね、そこは。
範囲よりも質っつーか。広告もどこでうつかマジ真剣に考えないとね。

あと、個人的に最近ネットでよくみる胡散臭い商品の長ったらしい説明はうさんくせーと思ってたんです。これ読まんだろみたいな。
でも、本当に必要としている人は読むって言うことだよね。
ここでも、いかにターゲットを絞るかと言う話が出てきていたので、ビジネスの本質はやはりここにあるのではないかと思います。
誰にでも売ろうとすると、誰にも売れないという言葉が印象的でした。

あと広告について思ったんだけど、これもアレだよね、ビジネスプランを考える手順と同じだよね。
ていうか言い直すと広告は、顧客にビジネスプランをプレゼンするためのツールだよね。

あと、やっぱり他人からの評価ってのが信頼を上げるてっとりばやいというか、唯一の方法なのではないだろうか。
人付き合いなら、長く付き合ってる間にちゃんと評価できるにせよ、そじゃない以上、他人の評価でしかそれを評価出来ない。
ここは、なにかビジネスチャンスの臭いがする気がするんだ。


あと、セミナー終わった後で相談に行ったらやっぱり一度就職した方が良いんじゃない、と言われました。ですよねーww


とりあえずそんな感じ。
今日はちょっと一日楽しかった。あと診断士の勉強会をやろうということになりつつある。でもその人の名前を間違えておくってしまった。超恥ずかしい。
過去の自分を見つめる道標 comments(1) trackbacks(0)
打算で人を選ぶようになったら……おしまいだ



往々にして自らへの戒め。
あの子可愛いな〜とか思って話し掛けることもまぁあるボクです。
言ってしまえばこれも打算ですよね。でも話し掛けないよりはマシだよな…。


クラスメートのモチベーションの話。
少しやってみる気になった。
いやま、何かね、将来さむらい稼業の人が友達とか知り合いに大勢いたら便利だよなぁ、と言うフル打算です。
まぁ、ここは来るはずのなかったところだから、そこから這い上がるとき、手ぶらというわけにはいかないからね。
さむらい稼業は社会に出れば、欠かす事は出来ないわけで、どうせなら知り合いのコネでやってもらえた方が良いのではないだろうか、と言う気がしなくもない。

つか、敢えて言うならオレの資格が取っても一番役にたたん(笑


とりあえず、そのためには他の資格についてもうちょっと見識を深めるトコから始めないとな…。



打算で人を選ぶようになったら、人としてはダメな気がする。
でも、何も考えない人付き合いは、もっとダメだと思う。何なんだろうなぁ、ここに存在するジレンマは。
嗚呼、あれか、打算ってのはつまり自分が、自分だけが得をしようとしとるから気持ち悪いのか。
まぁ、でもモチベーションを引き上げる事が出来れば、オレはもちろん得するけど、向こうの方がよっぽど得するよな…。モチベーション上げるのって大変なんだぜ。
で、しかもモチベーションが高い時って楽しいし。まぁ、内発的モチベーションを主に指しての意味だけど。

個人的な意見を言うと、毎日タスクを定めてこれをやらなければならない!って言ってる人はモチベーションが高いとは言わない気がしてる。
一般的にはやる気があるわけだし、やる気とモチベーションはほぼ同意と言えるんだろうけど。
んー、なんだろう、よくわからないけど、真のモチベーションじゃない気がする。
多分、アレかな。義務感の問題かな。義務感も責任感も伴ってかつモチベーションが高いのが理想。
あれだ、義務観と責任感だけで人は動ける。それを自らで与えたルールの下で遂行できるのは、自己管理能力はスゲー高いと思う。
けど、何か、義務と責任とか、そういうのが来ると形だけのものになる気がする。

まぁ、当たり前なんだけどさ。ルールってのは曖昧さを切り捨てるために、形をいつでも誰でもはっきりさせるために定義するものだから。
いつでも誰でもわかるためには、形が必要なんだから。でも、形だけでは意味がないなんて、ジレンマだね。



愛を与える事そのものへの価値。
これが足りてないから不自然なのかな?
人が幸せになる要件の一つは、多くの人を愛する事が出来ることだと思ってる。友達にはわからんって言われたけど、嫌いな人が多いと、それだけで人は不幸だと思う。
嫌いな人について考えてしまってる間、幸せな人なんていないでしょ。
まぁ、そこらへんが問題なのかな、自分の中で。
モチベーションを上げるってのは、ある程度メソッドがあるから。まぁ、画一的に常にこうすれば良いってモンじゃないとは思うし、そのメソッドの全容など私ごときでは知る由もないが。
ただ、明らかに“方法”がある。人付き合いを、その“方法”を用いた作業としてしまう事に違和感があるのかな?
そう、あと何か、モチベーションを上げてやるって言う感じで対等じゃない感じになるんだよね。
上手くいったとして、上からものを言ってモチベーションを上げさせるわけではないから、端から見れば対等なんだろうけど、オレの個人の問題?
実はオレのおかげなんだぜーみたいな優越感がありそうで嫌なんだろね。
先輩後輩の関係だと、優越感の意義を上下関係に見出せるから抵抗ないんだろうね。

一緒にいるだけで、たくさんのテイクを受けてるとは思うんだけど、相手のモチベーションが上がったら、それだけで大量のテイクがあるんだけど。
多分、その流れの始発点が自分だから、そこに自分の優越感を感じて、それが対等じゃないような気がしてるんだろうね。
そもそも人にテイクを求めると言う感覚が間違っているんだけど。

自分がギブすることに代償なんていらないだろ。代償を求めたギブなどギブではない。


オレ個人の人間の器の問題って事だね。与え続けて、なお対等であれるかどうか。
モチベーションを上げる対象、というまるでもの扱いをしているような自分もどうかと思うし。そのつもりはないけどそういう要素があるから不安なんだろう。
もちろん相手は人だから、もののように扱って上手くいくはずはないんだけど。うまくいくことを目的にしてる時点ですでに何かおかしいもん。

相手に結果を求めるようになったら終わりだ。いつかそう思っていたのにね。


何なんだろう、この数多いジレンマは。
でも、少なくとも損はないと思う。オレにはできないかも知れない。でもやる。いつかそれが出来る人間になりたいから。そのためには今からやるしかない。
もう少し動いてから、この感覚の正体をつかめれば良いや。






あと今日あらためて思った。

現状は維持しようと思ってる時点で維持できてない


これは結構真理だと思う。
不変たるものなどないのだから、その中で不変であろうとすること自体が、すでに相対的に変わってしまっていくよ。


人付き合いを結構最近惰性でやってる感がある。
惰性でやってもみんなと同じようにはあれると思う。
けど、もっと限界までいかないと、もう成長できないではないか。進まなければ、遅れていくのだから。ここで良いと思ったら、相対的には止まってるどころか遅れていくのだから。
ただ、限界まで切り詰めれば、器の小さいオレと言う男はイライラするし、視野は狭くなるし。
余裕を持たねば真に望むべく場所へいけない。
成長するか、余裕を作るか、ザ・トレードオフ。つっても、伸びるときは伸びて、縮むときは縮んで、というのの繰り返しが大事なのかもしれないな。
今までがんばって手に入れてきた自分の在り方を、肩肘張らなくてもできるようになったら、そこからもう一回伸びれば良いと言うような気もする。
伸びっぱなしでもダメなんだろう。不安定で。

ただ、必死でいないと落ち着かないというのはあるかもしれない。物足りなさというか、自分は何もしていないという自責の念というか。

今まで見えてなかったものが見えるようになってきただけなのか、それとも単純に自分の力が劣化を初めているのかは知らないけど、ここでそろそろ成長しなければ。

しかし、合気道の極意は肩肘張らないこと。肩肘張って頑張ったら、何も上手くできない気がする。
肩肘張らずに、自分の軸を貫き通すっていうことか? 必要なのは。
それを具体的にどうすれば良いのかは、まだわからない。


つか最近わからない事が多いな。これがわからないことが何なのか、わかるようになってきたと言うことか、それとも単純にバカになってきてるだけなのか…。
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
人にものを教えると言う事
経済学の勉強をしてて気付いたんだけど、学ぶって言うのは「慣れ」っていうのが怏々にして存在するよね



ある論理を学んだとする。
多分その論理を聞いた瞬間は理解できるんだよね、たいてい。




例えば地球の自転と言う理論を学んだとする。
すると、太陽は動かないで地球、正確には自分の住んでいる場所が動いているから太陽が見えたり隠れたりしているのがその場ではわかる。

けど、その後太陽を見たって、結局太陽は「昇ってきて」「沈むもの」なんだよね。

そこで、何度も何度も太陽は動いてねー動いてるのは自分だって半分暗示を掛けて、その論理を反芻してると、そのうちその論理が自分の中で昇華される。

そしたら太陽が昇ってくるのを見て、「あ、自分はいま逆方向に動いてるんだな」っていう風に思うようになる。




こんな感じの昇華って言うのが、理論を会得する上でもっとも重要なんだと思うようになってきた。
ってか重要だろう。
この例で言うと「太陽が動く」のを見る事がインプットで、それに対する解釈「自分が動く」or「太陽が動く」がアウトプット。
太陽が昇ってくるのを見て太陽が昇ってきたと見えてる間は、例え地球は自転すると知ってたとしても、やっぱり太陽が動いてると言う風にしか見えないんだよね。
それを地球が自転すると解釈しようとすると、論理的に一から自分がこの方向に動いたら太陽はこっちに動いたように見えるな、と確認しなければならない。
それを毎回確認してると、そのうち段々、それを確認して納得するまでのスピードが上がってきて、そのうちに「自分の方が自転してる」と思うのが当然に感じるようになる。
多分、そんなところだと思うんだ。


もちろん、自分が納得するに至るまでに、まず論理が必要。ここで言うなら地球が自転していると言う論理。

だから、多分教える側としては論理を知れば、学んだ事になると考えてしまう。
ここが教えた側が相手は理解したと思っても教えられた側の理解が追いつかない部分の原因の一つなんだろね。


まぁ、なんていうの? その論理に依拠すれば当然だと思ってる人からすれば、その論理を教えればすぐ同じ事を考えられるようになるって思うのはおかしいって話だね。
で、そんな状態なのに次々覚束ない論理を積み立てていけば、そりゃわからなくなりますよーって話だね。

まぁつまり論理は習うことより慣れることの方が大事なんじゃないかっていう話。
その慣れるスピードが学習速度を決定する一因だろうし。


あと、分野が違うと話が通じないっていうのもここに原因がある気がする。
喋ってるほうは当然だと思ってることも、実はその分野の人間しか知らないような論理に基づいた考えだったりする事が往々にしてある。
だからその根源の論理がわからなくて、端から聞いてると理解できない話になってしまう。

そこらへんの自分の考えがどんな論理に依拠した結果、人とどのように違うのか?というのはきちんと把握しておかないと何を言ってるのかわからない人になってしまうんだろうね。
例えばここのブログのように、ね。


あと単語がわかりにくいっていうのも同種の問題だろうね。
論理ってほどじゃないけど。単語も論理も概念である事に変わりはないわけで、そこの概念が腹に落ちてるかどうかで理解出来るか否かも決定する。ような気がする。


まぁ、このブログは最悪自分さえわかれば良いくらいのノリで書いてたりするんですが…
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
四月バカ
って誰が何で言い出したんだ?
でもエイプリルフールって事は外国の文化? まぁ、どうでも良い事だけど。


4月1日ってのは、日本文化においては多くの人にとって、新たな門出であり、節目であり、始まりの日になるんでしょ


友達が、きっとおそらくみんな入社式とかあって


1年後にはスゲー成長してるかと思うとゾッとする。



だから、


そういう友達に負けねーよう、腹を括る。
死ぬまで走る。
俺は一人じゃない。誰も見てない事なんかない。新しい友達? そんなの入学式には出来てるよ


でも、そーじゃない。


会わないからこそ、相手が優しくなるってのがある。それに期待するようで、少し、情けなくはあるが。



去年度1年、正直がんばって…というと別に頑張りたくはないから良いんだけど、仕事のクオリティもクオンティティもまったく足りなかった。
別に今まで満足されるほどに出来てはいないが、この1年、特にひどかった。

だから、

スイッチを切り替える。とりあえず、次あいつらに会うときは今の自分が胸を張れる状態になったとき。
それまでは、会わない。
それは少し寂しいけれど、胸張って、今ここにいる自分を誇れるように。
今みたいに、すこし何か自分がダメかもって後ろめたさじゃなく、何か迸ってるときのオレになって、そんでみんなと笑う


決めた。今決めた。

しゃんと胸張って、自分のど真ん中に大切な思い出を持って、世界の誰にも後ろめたい気持ちを抱かなくて済む様に、強く生きる。心も頭も、出来れば体も、強くなる。
今、ここで全部失くしたオレは、もう失くすモンも何にもねーから。
オレの全部を、守るためじゃなくて、成長するために使う。




サークルの先輩、後輩、他大の友達、先生、学科の友達……たくさんの人に世話になって、そういう居心地の良い場所から離れて

昨日ぼやっと京都を歩いていたら、大学生活で一番最初に話をして、一番最初に好きになった女の子と道端でばったり出会えた。
ちゃんと、かどうかはわからないけれど、お別れを言えた。
これって、運命か何かかね?

思い出から、居心地の良い場所から、大切な人たちから、想い人から離れる切なさも寂しさも、ぜんぶぜんぶぜんぶ、オレの力にして、前に進もう。
陰の感情も、陽の感情も、すべからく自分の力にしてやるよ。そういう合気道をしてやるよ

だから、さよならだけど、だけど…



さー行くぜ。誰にも負けない成長をする! 限界の一歩向こう側の力で生きていく!
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
ああ、なるほどね
少しは成長したのかもしれない。

何かこう、具体的じゃないなぁとは自分でも感じていたんですが。
そして人に伝えるために明確な具体性が必要なのになぁ、とも思っていたのですが。


今改めて去年の就活の日記を読んで見たところ…。


うん。


何かね、日記にもね、地に足がついてないとか観念的とかって言われてるって書いてあった。
去年の面接練習のヤツにも、自分勝手だの何だのと書いてあった。


うん。



あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

嗚呼、マジでなんというこでしょうww
自分でもこんなにも観念的な事しか言おうとしていなかったのかと愕然としております。
うは、マジでこれはきついwww


観念的なレベルで言うと、1年経った今、完全に自分の中で熟成されてるのを感じる。
ほぼ、この考え方が今の自分の強みだし、まぁ、もうここからはほとんどブレがない。オレの真中心として人の力を借りてものを作っていく上昇気流的リーダーシップはほぼ間違いないと思う。

ただ、ねー。
言ってる事がでかいと言うよりは、観念的ですよねー。ホントに。
やりたいことはわかった。でっていう。


それで?
結局?
オレ、何が出来るの?


一つ、オレは人の話を聞く事が出来ます。



風呂入って来た。



結論。

「相手の力を貰って返す」


これは、合気道十段の先生がおっしゃる合気道の極意なのですが、これは企画職にも通ずる極意だと考えています。
合気道の場合であれば相手が殴り掛かってくる力を十分に出し切った瞬間こそが、最も相手に技の掛かり易い状態と解釈できるのですが、企画の場合ならば、まず人の話・アイディアを存分に引き出し、訊き出し、……あー…まぁ、なんかいいや。

その上でチームメンバーと意思疎通を図り、チームとしてゲームの完成を目指します。また、特に人の話を聞く場と言うのは会議の場のみならず、普段の何気ないコンタクトで、1対1での会話の中でこそ可能であると考えています。
私自身は、企画というのは、例えばニュートンがリンゴを落ちるのを見て重力の存在に思い至るような天才的閃きよりは、誰が、いったいどんな嬉しさや楽しさ、はたまたは便利さといったメリットを望んでいるかという顧客のニーズを探り探り、その上でそのニーズを叶えるために自らの持っている技術や金銭的時間的条件を鑑みながら、ひたすら論理的思考にもとづいて丁寧に描き出されるものだと考えています。
そうしたみんなが密かに思う顧客のニーズ、または自分達が持てるものなど自らを取り囲む条件達を常に把握して、それらを整理しながら製品にフィードバックすることが企画職の意義であり必要なリーダーシップであると感じております。そして、私の相手の力を引き出すクリエイティブ合気道は、実直でありますが安定した成功への近道であると考え、この力を活かして御社で企画をしたいと考えています。



んー、とりあえず書いて見た。が。
なんて自分勝手な…!
オレの思う企画の意義とかどうでも良いよ!
相手がいない。いや、いないんだけどさ。
なんつーのかね。うん。
まぁ、小さいゲーム会社とかって満足に会社の説明とかも載ってなかったりするから、見えなくてもしょうがないジじゃんとは思うんだけど。
もう、面接行った時にいきなり聞いてやろうかな、御社がゲームを作る際に大事にするものはなんですか、そしてその中でプランナーに求めるものはなんですか、と。



あ〜、まぁ、良いんだけど。
自分勝手な論理だ、くそう。なんとなくわかってはきてるのに。
地に足が着いてないのもわかるのに。地に足が着いた論理って何だ。わけわかんねー。
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
人生とは
捨てて行くことだと、22歳の私は思うのです。



これまで必死になって得てきたものも、これから先、もう花火がパッと閃くみたいな、凄いスピードで過ぎてくんでしょう。
そして、その時、自分の手元には、今大事にしてるものがどれくらい残ってるのかな?

少なくとも思う。
数十年先、今と同じものをなお愛でようとする自分の姿は、後ろめたいと。
それでも大事なモンは大事なんだから、しょーがねーじゃん。
いさぎ悪いしかっこ悪いし、ろくでもないけど。

これまでは、たくさんの得てきたものに目を奪われて、捨ててきた数ある未来や大事なものが、ぜんぜん見えてなかったのかもしれない。
オレは、いろんなものを捨てるのが苦手。
そのくせ、今もってる大事なものすら、どうやったら大事に出来るのか、じつはよくわからない。

ただ愛したいから、その言葉に従って愛す事は、おそらく無粋で、それは本当に愛を表現できるわけじゃなくて。
本当に大事なら、節操なく愛を叫ぶんじゃなくて、ホントに大事だと、腹の底に秘めておくものなんだろ?
美味しいものは、少しだけだから、それを全力で愛でたくなり、より心を魅かれてそれを求めるのだろうよ。


ああもう、怖いことばっかりだ。
今この両手に抱えきれないだけの大事が、自分の手から零れ落ちたら…。
それを大事だと感じれなくなったら。
忘れてしまったら。


30年後の自分は、どこにいて、何を思って、誰のために生きてるのかな?
そこにオレの居場所はあるのかな?

終わりの見えている幸せは、シアワセじゃないのか? オレがシアワセなのかどうかすら、よくわからん……
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
覚悟、だからオレは、前へ進むの
どーもお久しぶりです。

ようやっと卒研も終わり、色々腐ってましたが、何とか世界が見えてきた。
とりあえず、19日に卒論提出しました。
余裕、ではないのですが、まぁとりあえず終わりました。
何となく、自らの制作物に満足が行く程度には出来た、かな。んー、まぁこれがオレの限界だとしたら随分と安いもんだけど。

で、19日はそのまま学科のみんなを誘って焼肉に行きました。
オレの進路相談の会になりました(笑

そのまま晩はグダグダと専門学校やら何やら調べて過ごしてました。


で、翌日寝坊(死んでしまえ
先生との約束をすっぽかす。
そしてしかもなんも考えんと卒業しますて宣言してもーたwww
はいもう卒業けってー

で、バドミントン行って、なぜかそこから飲みに行く事になって、寿司を食いに行き、酒を飲み、散財。この2日で10000円飛んだぜよ(しね


翌日はふらふらになりながら合気道に行き。
てーかオレ、18日から合わせて10時間寝てねーんじゃね、これ(笑
で、合気道を一日やって、やはり焼き鳥屋にビールのみにいって(帰れ

日曜日は一日中寝てました。
あと専門の資料とか読んでた。
雨降ってたから外に出なかった。

なかなか寝れなかったからビールに頼って寝て起きたら12時回ってた(((


月曜日は昼過ぎから合気道行って、近くの噂の枕オムライスを食べました。


そんでマンガをたくさん読みました。
GIANT KILLING、マテリアルパズル新刊、BAKUMAN、xxxHolicなどなど。
そーやって、かれこれ4日ほど、遊びまくった。死ぬほど遊びまくった。いつみんなと別れても惜しくないように。
もう時間がない。
いずれみんなと別れた事が悲しかったことも忘れるんだろうな。
別れは出会いに繋がってるから、新しい出会いに飲まれてくんだろうな。
後ろをずっと見てるよりまともだけど。


この4年間、自分の事で精一杯だったんだなぁ。

もう、終わりなんだなぁ。




オレ、多分人より賢い。


けど、それを活かせてない。


色々考えたけど、やっぱり多分平均よりは良いもの持ってる。



ただ、それを活かすだけの、覚悟がたりねー。

結局、今の自分が他人に誇るに足るだけの能力がないのを知ってる。その種ではあったとしても、今のオレでは届かない。

そこに手を伸ばせるかどうか、そんなのはもう、オレが自分の力で立って、自分の力を信じて、自分の進む道を信じるしかないわけで。


どんな選択を選んだ先にも、幸せと、後悔と、たくさんの出会いと別れがあるわけで。

そこに価値を見出せるかはオレ次第で。

他の誰でもないオレが決める事で。



結局、ホントのホント、自分の幸せなんてのは、そこにいかなきゃわからねー。

だから、どこの道を選ぶかってのは、他の道を捨てるって事で


そりゃオレの願いを全て外からかなえてくれるトコがあれば叶ったりだけど。
そんなもんはなくて、結局、どの道に進もうが、全てはオレがそれをどれだけ本気で手に入れようとするかだろ。

悩みもするさ。迷いもするさ。

でも、最後の最後。

オレはオレの力で立たなくちゃいけない。


腹の括り時さぁね。

安定しない将来とか怖くてしょーがねー。
それでも、進むんだ、今ここでやらずに後悔する方が、よっぽどバカだろう!!!
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
人と話して少し整理
結局やらなきゃいけないことは、誰が何をしたいかを見つける事なのですよ。


あー、うん。そーゆーことだ。
何がも大事だけど

誰ががもっと大事。


誰があっての何だよね。




なんかスゲー卑猥な表現になったなwww




誰ってのを考えるとマーケティングのプレイスとかプライスとかがプロモーションとかが重要な事がすげーわかる。
ま、もちろんその見据えた先に競合がいたらそいつも問題だけど。


そーゆー意味でコンセプトってのはどの視点も必要。
結局たとえば全く同じ精度で印刷速度が1秒に1000枚とかできるようになったらもちろんそれがいいもんね。
でもそれが仮にできたとしてもコストとかの問題になってくる。だから、いくらでどの程度のものが欲しい人達がいるのかっていうのが大事。10万で1秒10枚が良いのか、1万円で1秒1枚が良いのか、みたいな。
これは経営と工学の折り合いで、工学は客観評価が前提だから換金しやすい。

それに比べるとデザインは感覚ベースで客観評価は難しいよね。



まぁ、それはいいや。
結局「誰」と「何」が決まったら残るコンセプトはある意味必然というか細かい工夫レベルで流れて行くじゃまいか。


まぁ、必ずしも誰や何が先に決まるもんでもないと思うけど。


誰と何を見つけるのは、ぶっちゃけ誰でも良いわけで。

つかまぁ、誰と何はセットなわけで、それを決めるのは社風だったりなんだったり。


まぁ、あれかな。
誰を決めるのがどちらかといえばマーケティング
誰から何を決めるのがどっちかっていうとデザイン。
何から形に落としこんでくのがどれかといえば工学。

という分類が強いてするなら良いのかな。でも別に誰を決めるのはデザインでも良いわけだし、何を決めるのも工学でも良いわけだし。
そもそも決まった事に対してこれはマーケティングの知識です、これはデザインの力量ですだなどと意味づけるのは学者さんの仕事であり、解釈者の解釈の仕方にしかよらないわけであり。
どっちの解釈でも納得できることってのはたくさんあるわけだ。



「誰」にとっての「どんな問題点」を見つけるかって話。
それがものづくりのスタート。
その二点が定まれば、マーケティングもあとは合理的にやる他ないんだし。
ただ、誰を見つけるのをどうするかが問題で。
そら周りを見渡してスカスカしてるセグメントっていう見つけ方も一個。
でもそもそもそれは同一次元の中の別の場所を越える事はないわけで、新たな次元を作り出す場合にはその限りではないわけで。
結局革新っていうのは新しい次元そのものを着目出来るかだよね。
それはどの分野からでも現れうるし、どの分野でもその狭い世界の中じゃ出てこねー。
遣り方ってのは規定したらその時点で規定した範囲の中にあるものしか出てこなくなる。でも規定しないと動けないのが実状。

スタート地点における全ての命題。「誰にとって」と「どんな問題」を見つける事が求められる意義。そしてそれが出来る根拠は三面図的にものごとを俯瞰できるから。市場と言う意味合いでの顧客の発見の仕方。日常生活における不便から来る問題点の発見の仕方。それが一つの意義。

そんでもう一個の意義が、その実施。
実際に進めて行く上では「誰」と「どんな」に基づいて進んでいくけど、まず解決の視点が全く違う。
ここがおかしいと思う点がちげーから解決方法が違ってくる。
それらの解決方法に折り合いをつけながら最もそれぞれの良いトコが出るように、その上で「誰にとって」の「どんな問題」を解決する方法のベストアンサーを形にして行く。

うん、これが多分意義だな。


誰とどんなは至上命題だから誰もが考えなきゃいけないし、そこの大元には分野やプロアマによる貴賎などない。
多分、誰とどんなっていう視点自体はどんな組み合わせであれ、あんま間違いはないんだろうね。
もちろん、該当する「誰」が多ければ市場的には良い事になるのだけど。
で、あとはその「誰」の抱える「どんな問題」っていうのに気付いた上で、どう解決するか。このどう解決の部分に分野やプロアマって話が出てくるんだろね。
まぁ、「誰」の「どんな」がどうでもいいわけじゃないっていうか、むしろこれが定まればほぼ形なんてのはなるようにしかならないっていうか。なるようにっていうのは自分ができる範囲でのなるようにって意味で。
同じターゲットに対して同じ解決を与えるのにだって人が違えば方法も違おうよ。
できることが違うんだもん。
まぁ、そのできることと「誰のどんな」がフィットする事が大事といえば大事なのかもしれないけど。
「誰のどんな」が良い視点でも、もっと良い解決方法があるじゃんってなったらダメだもんね。まぁ、そこはシーズ志向って話になるから今は置いとくけど。


で、まぁ、実施の段階で、ベストアンサーを出すにはそれぞれの意見に重み付けをして、調整しなきゃいけない。
「誰」と「どんな」をぶらさないためにリーダーシップが必要なんだと思う。
で、ぶれてないことを確認するためにはそれぞれの知識が必要だからデムが必要なんだと思う。
つか、確認し修正するためにはリーダーシップが要るよね。ていうか結局全体を俯瞰するのはリーダーしかいないよね。

多分問題発見と言う意味で今までもデザイナーが市場を見たりとかをして来てたんだと思う。
で、最初からそれを見れたりしたら良いなと思うデザイナーがうちに来るんだと思う。

まぁ、今の現状から言えば、それぞれの分野が「誰のどんな」に対してベストアンサーを持ってくるわけだ。
ちなみにマーケティングやデザインがオレの中でコンセプト作りっていうのに対して被ってたのは、そのどっちもそもそもの問題発見つーか、「誰のどんな」の発見に重きを置く分野だから、だよね。
まぁ、それに比べると工学は問題点の解決に重きを置く。だから「誰のどんな」を読み解く力がいるんだろね。
まぁ、それはともかく。
あとはそれぞれの視点からベストアンサーを持ってくる。
それに折り合いを付けるのが最後の作業。まぁ、最後っつーか最初っつーか。常にやり続けるのが実態だろうけど。
そうして全体としてのベストアンサーを生み出す。
その折り合いをデザインと言っても良いのかもしれないし、またそれ以外の表現でも良いと思うだけど。プロデュースとかね。

ともかく、デムの意義とは「誰」の「どんな」を貫き通すことだと思う。だから、前の演習の時に「誰」の「どんな」が弱かったからこう、売るって言う視点が抜けてしまったんだと思う。
あれは、まぁ問題点と言うより魅力っつーかコンセプトを押してく形だったかもしれないけど。
あれ、そうなるとニーズの読み取りとコンセプトの提案って言うマーケティングの基本になるかも。
まぁ、別にニーズを読み解くのがマーケティングの専売特許ってわけでもないけど。
いや、でもコンセプト提案型も、結局は誰がが必要なんだよね、基本は。
まぁ、誰にでもっていう誰がもあるとは思うけど。結構、前回のはそれだったからなぁ。自分の思う魅力をこれどうですかって提案してた。
で、そのコンセプトは悪くないって話になって製品作ってもらえたけど、売るには結びつかなかった。もちろん、何となくでも良いんだろうけど、結局買う人ってのは決まってるわけで。
のっぺりと提案するよりも、誰に対する魅力をもっと切り詰めるべきだったのではないだろうか。
結局誰に対して提案するのかが大事で。あれは、まぁどんな問題っていうのがコンセプトとしての解決法が先に見つかっちゃったって感じで。
誰がをもっとかっちりするべきだった。かも。まぁ、あれは施設だったから利用者と購入者が違うのも一個問題ではあったんだけどさー。

まぁ、ともかく「誰」と「どんな」は全てにとって共通する命題であり、ただそれも一側面からだけだと抜け落ちがち。それを三面図つかって俯瞰するのがオレら。
そんで、実際の解決に当たって「誰」と「どんな」を常に共有して、自分でぶらさず、相手にもぶれさせないことが大事。だと思う。
こと、大衆マーケティングが難しい昨今。つか、真の意味での大衆マーケティングなど最初から存在しえないような気はするけど。
まぁ、より共通項が減りつつある昨今と言う意味で欲求の多様化っつーよりそもそも問題点が違うっつーか。まぁ、どっちでも似たようなもんだけど。


で、じゃあ実際に好例と言うものについて考えよう。
つかもう、例は藤岡酒造の蒼空と決めている(笑
残念な事に、例の説明と言う段に当たっては、確実にオレがどう解釈するかって言う恣意が入るわけで、大抵の商品は多分例として解説が出来てしまうのだ。残念ながら。
だって、敢えてどんなものにでも大体適用できるように「誰のどんな問題」かが大切であるっていうのを言ってるんだから。
それが当てはまらない事例がたくさん在ったら、考える枠としてはちょっと役に立たないじゃん。


まぁ、ともかくこの日本酒の例では、まぁ問題発見てのは偶発的なモンっつーか、その視点の問題を発見できたことを褒める他ないから、置いておこう。
「誰のどんな」は合理的に見つける手法がマーケティングだともおもうんだけど結局それが良かったのかどうかなんてのは結果から判断するしかないわけで。
まぁ、ぶっちゃけた話、「誰のどんな」が大事ってのをずっと言ってるけど「誰のどんな」は具体的に何に着目して考えれば良いのかとかは、さーっぱりわからん。ただ、これがないと後に続かないってのだけわかる。
で、それを探すためにマーケティングとかデザインとかが頑張ってるのもわかる。
だからあとはそれぞれの探し方を使って組み合わせながら見つけるしかないんだろけど。

結局こんなもんはデータを知ってたらそこにいくべきだ、って言えるけど、そのデータに気付くかどうかじゃん。
「誰のどんな」を見つけるのが、気付くかどうかつったらアレだけど。結局同じデータ見てオヤジが飲んでるからもっと売るべきと思うかネーチャンが飲んでねーから飲ませるべきと気付くかって違いなわけで。まぁ、これはオヤジとネーチャンって言う男女と年で作られた次元の中での話だけど。
ま、これはわかりやすいよね。男女と年で特性がはっきりわかれてる分野の場合。特に酒とかゲームとか、嗜好品てのがそうなる傾向があるのかなぁ。ま、いいや。

ともかく誰のどんなってのは人生の経験にしろたまたま飲み屋の席で思った事にしろ、気付くかどうかだと思うんだよね。
で、気付きに対して、「誰」と「どんな」をきちんと規定することが大事。
だけど、何に気付きどう規定されるかという指針は、やーっぱりあんま指標がないと言うか…。
そこに注目してまだあんまり物事を捉えたことないからあんま触れません。経験値がたんねー。


で、だからも一個の大切なほう、実施について考える。
ここではこの日本酒ブランド「蒼空」は日本酒が年食ったおっさんが大ビン買って飲んでるくらいしか飲まなくね?っていうことに気付いた。
言い換えるなら、オネーサンとかがあんま飲んでねー事に気付いた。
いやま、どっちに先に気付こうがほぼ同義だから問題にはならないんだけど。

じゃあ「オネーサン」が「日本酒を飲まないという問題」を解決しようってなったわけだ。

まぁ、ここでこれを決めた時点でマーケティングというのは始まってるのかもしれないけど。


ともかくじゃあ何で酒のまねーのと。
オヤジ臭い印象がある日本酒は買いにくい。種類がいっぱいあるけどどれもおんなじ風に見えてよくわからない。あんま口に合わない…などなど。
こうした問題があると。
ああ、こう考えると問題ってのは二層にわかれてるのか。で、多分二層目の問題発見までは、セットになってる。ただし、二層目の問題発見の段では既に専門分野の癖が出てる気がする。ただ、重なる部分あり違う部分あり。
まぁ、二層目の問題はぶっちゃけ概念としての解答はわりとぱっと思いつくわけで。
まぁ他にどんなアイディアを考えたか知らないし今はいいや。


ともかく、二層目の問題に対して解決策として、
技術としての味のアプローチ。
市場としての大きさのアプローチ。
デザインとしての見た目のアプローチってのをここの酒造は行ったわけだ。

甘口の飲みやすい味にして、まわりの買いにくい一升瓶じゃなくて、二人ですぐにあけられるような500mlサイズにし、色も黒とか緑とかじゃなく透明に布のラベルと言う一際目を引くデザインにした。
ここでさらに絶妙なのは、日本酒ってのは劣化するから透明に出来ない、というのが常識だった。薬ビンと同じで。
それをサイズを小さくしてすぐに消費できるようにすることで劣化の問題を擬似的に解決したというわけ。
ようは技術的には問題でしかなくて、それゆえに制約を受けるデザインがある。しかも解決不可能なような命題を、市場性というところからも意味のある形にして解決してるってこと。
これは、他分野と折り合いどころかの相互作用で、シンパシーで、融合で、強化ですよ。

それがスゲーよね蒼空は、うちっぽいよねっていう説明。
うん、相互作用ってのはスゲー良い。
一つのアイディアで複数の、しかも分野をまたぐような問題を解決できてる。
まぁただ、アイディアの所属元ってのは一応説明の上でわかり易かれと思って書いたけど、何か違う気もするな。
もちろん自分のトコでしか解決できない味みたいな問題もあるんだけど。
多分小さかったら買ってくれるって言う市場性に着目したとこから、さらに小さければすぐ飲んでもらえるから透明にも出来るじゃんっていう発想の連鎖っていうのかな。
これがスゲー良い感じ。


あー、わかったわかった。

二層目の問題まで来ると、結局解決できる分野があるていど想像出来ちゃうんだ。
でも実際デザインで問題になってくる工学の問題を、経営の分野の問題解決のアイディアでついでに解決できちゃうっていう解決方法間でのアイディアのやりとりっていうところで、うちらしさがあれば良いんだな。
つまり、一挙両得的な。
多分、これをデザインだけで解決しようとしたら色の制約をつかったままのデザインをするしかないし、工学からなら劣化しない日本酒と言うありえないものを作るしかない。
けど、他分野での解決方法をそこのとこにも適用するってのが良いトコなんだな。必要なんだな。

最初言った通りもちろん問題がぶれないって言うのも大事。
でもそれと同時に実施の地点でどこかが見せた行き詰まりを他分野の発想でさらっと解決することも一つの強みだよな。
だってこれはアイディアレベルの話で、つなげられるかどうかじゃん。
まぁ、ホント都合の良い例え話って感じで、多分つか、なんつか、そもそも思いついてから連鎖する発想っていうのはもはやなんつか、オレがここでこれはこうこうこういう順で発想されましたって言っても仕方がない事だと思う。一挙両得の解決策を持つ問題を持てたことを褒めるしかない。



まぁ、まとめよう。
良かった点は、「誰に」と「どんな問題」を的確に見据えられている

そんで、その問題を解決に際して誰にとどんな問題というのを正確に突き詰めた方法を考えている。

そしてその方法が一つのアイディアで分野を越えて解決を示している。

だから蒼空は優れた商品である。


うん、こんな感じかな。まぁ、ぶっちゃけた話、目標がぶれないって言うところの話だって、結果論でしかなくてそれを本当に意識していたのかどうかなんて知ったこっちゃない話ですけどね。
で、問題の着目点が良かったのかどうかも、ぶっちゃけ知ったこっちゃない話ですけどね。だからもちろん、良い着目の仕方なんか知るわけがない。多分、なんらかの指針となるような方法論はあるのかもしれないけど、今のおれはわかんねー。
ただ、考える上では、「誰」と「どんな」に注目するのが総じて良いと言われる評価を得るためには安定しそうだなっていう提案でしかねーわ。それをどう注目するのかまでは提案できねー。
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
ミチシルベ
とりあえず、21年と4ヶ月20日を生きた今現在、私がまず目指すべきもの。


そう、私の中で最近大切だった言葉。
幻想水滸伝2のラストに、ジョウイが最後にピリカに伝えた、きっとジョウイが生きると言う上で一番伝えたかったのだろう言葉。



「わかれをいやがるのではなく…
共にすごせる時を大切にするんだ」




初めて見た時は、それなりに納得をして、それなりに感動をして聞いた言葉でした。

でも、この年になって、ようやっと今更ながらいくつかの別れを経験して、いくつかの別れを目の前にした時、この言葉にもう一度出会い(まー不覚にもその言葉を見返したのは幻水2の面白プレイ動画を見返してたときなんですが…)なんていうか、妙に何かを思い知った気がしました。





だから、まず一個目。
私は、これを実践できる大人になろう。一個目の目標。



実はさぁ、今ちゃんと卒研をそこまで真摯に向き合ってないなぁとか思って、それはまぁ言ったら自分の自己管理能力のなさに起因するわけで、たとえば毎日サークル行ってそのまま後輩と飯食いに行ったりしたりね。
もしくはそうでなくてもズルズルとグダグダしてしまったり。
バイトを始めて、卒研が出来なくなったと言い訳してたけど、それが言い訳だってのは気付いてる。
だって、時間なんて余ってるじゃん。
で、しかもサークルに行って後輩とだらだらする自分とか、やったら自尊心が妙に高い自分とか、妙に嫌気がさして。
サークル行くのをしばらく自重しようかなとか、誰かに頼るのをしばらく自重しようかなとか考えたわけです。


で、そうやって人といるのを遠ざけようとするから、余計悲しくなるんでしょう。



きっと、どれほど一緒にいたって別ればっかりは辛いし悲しいでしょう。
その別れの過去を懐かしむのでもなく、未来に転嫁してしまうのでもなく、ただ、純粋に今あなたといる幸せを感じなければいけない。

でもやっぱり自己管理が出来ないオレだから、サークルに行くのは減らそうかなとも思う(その時間で果たして勉強するのかは謎だけど

ただ、大切なのは一緒に居る時間を増やすとか、機会を増やすとかそういう事じゃなくて(そういう事が必要なときもあるけどね



一回一回、今その瞬間をいかに大切に出来るかっていうそれが大切なんだろう。



人間、だれる生き物だから、いつでもそうやってはいられないだろうね。
きっとそんな余裕もないときもたくさんあるだろうし、単純に忘れてしまうこともあるでしょう。

出来るなら、一瞬一瞬、成長する自分とか、楽しんでる自分とか、常に全力で楽しむ自分を自覚しながら充実した日々を全身全霊で、全速前進で、過ごしていけたら良いのだけど。

それはまだちょっと無理ぽ。オレのキャパ的に。
だからまずは。
うん。



まずは大切な人と過ごす時間を大切に出来る人になろう。

そしたら、次は出会う全ての人々と過ごす時間を大切に出来る人になろう。




んー、難しい。どうやったらそういう時間を過ごせるのかも、そういう気持ちを伝えられるのかさえわからないけれど。
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
4月書きすぎ
思考ってのは、一度大きく展開し、それをまとめることだと。



おそらくその纏めるってとこに味噌が合って、そこがいわゆる経験値の要するとこだと思うんだけど。
バックグラウンドのない思考は、そもそも深まらない。広がりのない思考は、他の論理に容易に矛盾させられる。
だからたくさん知る必要がある。
全てに論理を通さずとも、矛盾している事を知る必要がある。


うん、それが出来なかったから、オレは日本酒の時に失敗したんだなぁ。
ようやっと認められた。


広げてまとめる。それがアイディアの出し方。ものの考え方の基本だと思う。
うちの学科は、多分それを学ぶ学科なんだと思う。学んで製品作りに生かそうとする学科なんだと思う。



で、その中でも特に、私にとってこれまで大学3年間は、広げる期間だったと思います。
私にとって、広げるとはつまり、人と出会う事。人から吸収する事。人を学ぶ事。

だって、広げてまとめるという考え方すら人からの借り物だから。


だから、後一年は、纏める期間。一年というか、就職活動というのがさしあたって纏める期間。
嗚呼、だからつまり、オレの人生において少なくともあと10年は広げる期間じゃね?
自分の領域を、広げられるだけ広げる期間じゃね?
デザインも経営も工学も、たくさんたくさん吸収できる期間じゃね? 吸収すべき期間じゃね?
やるべき事が、見えてくる気がする。
やりたい事は、見えてきてる。


つまり、最近ようやっと自分の20年間がまとまってきたのかな?
それでもまだまだかな?
でも、今まで広げてきたものは、少しずつ、一つの道筋を見つけ始めてる。
広げて纏める。それを繰り返す日々なんだろうけど。

んー、思考に耽るのって楽しいなー。
過去の自分を見つめる道標 comments(0) trackbacks(0)
| 1/4 | >>